地に足をちゃんとつけて、
目の前のこと、
小さなこと、
自分に与えられたことをこつこつとする。
あれが無い、これが無いではなく、
ああ、こんなうれしいことがあった。
ありがとう。
あなたがいてくれる。
ありがとう。
そう思いながら、いつも笑顔でいる。
心配や取り越し苦労もまた、余計なお世話。
やりすぎると、それらは呪いのようなものになって、
大事なひとのとこに飛んでいき、手枷足枷のようなものになる。
感情は念より理性でものごとを見つめる。
地に足がついていなければ、
せっかくのスピリッチュアルもオカルトになってしまう。
他人任せな人間を誰が救うのだろうか。
いいこともそうでないことも、
ひとにも自分にも優しくできる。
波乱の50代。
一周回って、またここに戻ったような気もする。
脅かすようなひとや開運の財布やセミナーをやたら勧めるひととか、
風通しがどうみても良くないとかいろいろで、
でも、いろいろなことと戦い、自分と闘い、
生きぬくのは自分なので、
もうひとつ。
機嫌がいいこと、丁寧なこと、親切なこと……。
幸福は外に現れる。
これは岸見一郎さんの著書『成功ではなく、幸福について語ろう』
の小見出しのひとつである。
機嫌がいい人は、相手に気をつかわせないし、感じがいい。
丁寧な人と話すと、自分が大切にされていると思う。
困っているのを助けてもらうと、
嬉しいし、次は誰かに親切にしようと思う。
そうして、いい気持は広がっていく。
どうも幸福というものはこんくらいで存在し、
クセになるほどの強烈さはいらないらしい。
この本はとても面白かった。
過去を後悔し、未来を憂うのは意味がない。
過去はなく、未来も端的にいうとない。
幸福は「今」にしか存在しないのだという。
岸見さんは、アドラーの『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』も、
共著で出されている方でもある。
あたしがいうのもなんやけど、
どんなときも少しおしゃれをして、
きっちりメイクをして、ご機嫌に出かける。
これは何かを乗り越える時のコツかもしれない。
なにをお気楽なことをとは思うけれど、
万策尽き果てたなら、やってみてもいいかもしれない。
あたしも実行中。
おススメしますよ。
外見からだんだん変わっていけるかもしれないもん。
もう何年も笑った記憶がないとのこと。
私はフランスの哲学者、アランがこんなことをいっているのを思い出しました。
「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」
毎朝、笑うところから一日を初めてみませんか?
最後の相談者の方に応えた岸見さんのことば。
なんかいいでしょ。
やってみる価値はありまくると思います。
ほほーん。
JONTE、うしろハグしてる。
美しい指が艶めかしい。
普通はここから首筋にくちびるといくだろうけど、
ふんわりハグだけで許してやろう。
「道の先」のときのMVである。
完璧だった。
これ、かなり好きなのである。
本人恥ずかしがるだろうけど、
決して、いやがらせでUPしているわけではない。
しみじみと、今も昔もいいオトコだなぁ、と思う。
今日は愛唄の時に知り合ったお嬢さんとご飯を食べに行く。
JONTEファンではないが、
なぜかJONTEにめっちゃ手を振ってもらっていた。
そんなとこあるよね~。
うらやましい限りであった。
ナミさんもくる。
当時からはみんな結構変わった。
こっそり、あることあることをおしゃべりしてくる。
むっちゃ楽しみな土曜日。