体調がだいぶ戻ってきた。
そろそろビールが飲みたいと思うようになった。
あそこで焼肉ジュウジュウして、ここでから揚げをむさぼり、
いつもいくイタリアンで手のこもったランチを食べながら、
合間にビールをごくごくやりたい。
じょんてファンになってもうじき8年。
箱入り主婦もぐびぐびビールが飲めるようになった。
お酒はほとんど飲めなかったのに、
いろいろな友だちとともに楽しく過ごすうちに、
普通に飲めるようになった。
ありがたいことである。
体調が悪いということは、食欲があまりわかないことである。
今回の不調でよくわかった。
当たり前のように。うまいもんを食べることできる幸せよ。
次は何を食べよう。
まっ、今日は4か月前から約束していた中華ランチである。
お腹が戻ってくれて、ほんとに良かった。
ちょい不安はあるけど…。
読書熱が戻ってきた。
しみじみうれしい。
おもしろくて、一気に読んでしまううれしさよ。
何も考えず、能書きもたれず、読むだけで、ほやほやして穏やかになれる。
読むことがひたすら気持ちいい。
これまでもずっと読んできたけど、
ここ数年はルーティンとしての読書。
活字が上滑りをして、頭に入らない。
だから、読み返しも多かったし、
新しいものを受け付けるスピードも遅かった。
それがである。
最近食べ物にまつわる小説が楽しい。
エッセイではなぜかダメで、小説がいいのだ。
虚構でしか語れない真実というものがあるように、
作家の根も葉もある大嘘八百の小説を読むわくわく感。
小説は、根も葉もある大嘘八百、といったのは佐藤春夫であった。
谷崎潤一郎から奥さんを譲ってもらった人であり、有名な作家である。
高村光太郎のより強烈な個性が、強い自我を持っていた千恵子を追い詰め、
心の不安定さをもたらした、という小説を読んだことがある。
そうだ、男が悪いのだ、とあたしは膝を打った。
それはどうでもいいのだが、とにかく今は小説がいい。
きっかけは梨木香歩さんの「雪と珊瑚と」を読んでからだろう。
「西の魔女が死んだ」も良かった。
ゆっくりと本を読むセンサーが動き始める。
あんなに好きな読書ができないくらい、
何かのメカニズムの引っかかりが、あたしのなかにあったのだろう。
何を読んでも砂をかむように過ぎ去って行った。
昨日読み終えたのが、近藤史恵さんの「タルトタタンの夢」である。
大きな動きがあるわけではない。
一応ミステリーということなので、内容は言えない。
「タルトタタンの夢」と「ぬけがらのカスレ」が特に面白かった。
ビストロ・パ・マルのシェフがタルトタタンをきれいに盛り付けた一皿を前にいう。
「きみのとって、北斗なつみは、その一皿みたいなもんだろう。
食べると幸せになれて、夢が見られる。
それがとても、大事なことだということはわかる。」
差し出された相手は伏せた目から涙を流す。
彼女は小劇場の女優北斗なつみの大ファンであった。
物語がやさしく解決した最後、
ギャルソンの主人公が、
「そこまで、手に届かないとわかっている人を好きになれるものかなあ」という。
シェフはまた、
「絶対に手に届かないものだとわかっているからこそ、夢中になれるのかもしれないぞ」
とにやりと笑う。
ああ、あたしにとって、じょんてさんは「タルトタタンの夢」なんだなと思う。
やさしい夢であり、歌を聞くと幸せになれる。
でも、シェフに見ないできたことを、きっちりいわれちゃった気分。
こういわれちゃーしょうがない。
個人的には少し苦い読後感なんだな。
君は、私の中で、毎日遠くなったり近くなったりする。
でも、世界の片隅でこっそり愛を叫ぶあたしは、
この夢をこれからもできるだけ大切に愛でていこうと思う。
ミトジョンテ、11月7日発売です。
みなさん、よろしくです。