がんばりすぎるのも限界がある。
心ははやくはやくと元気でも、身体が悲鳴を上げることがある。
身体がもうダメだというとき、とうに心が壊れているのではないか。
長いこと、自分の弱さが大嫌いであった。
自分のことが嫌いなのは、自分が弱いからだと思ってきた。
あと、女として美しくないのもあった。
ずっと強くなりたいと願ってきた。
誰にも負けない強さが欲しかった。
美しくなるのは諦めたけど、
強ければ少し自分を好きになれるのではないか。
そうして急くようにまっしぐらに生きてきたが、
ここにきて何もうまくいかなくなった。
なんでこうなったんだろう。
目の前の出来事が遠い世界のことのように思えたが、
どれもこれもあたしから出た出来事であった。
下り坂をのんびり下りていたら、
目の前に途方もないまさかの坂がどかんとそびえていた。
長いことをそれを受け入れられなかった。
あたしに限ってそんなことはない。
うちに限ってこんなドラマみたいなことが起こるか。
どうしても今を受け入れられなくて、
できたら蓋をしてうまくやりすごそうとした。
が、きちんとダメなことを受け入れないと、前には進めない。
そんなとき読んだ光野桃さんの【自由を着る】の中で、
がんばりすぎるお母さんたちに伝えたいことばに胸を突かれた。
スタイリッシュな帽子にパンツ姿の格好いいママたちの姿を見ていると、
だから危なっかしくてハラハラする。
では、どのようにしたらいいのだろう。
そのひとつは、長沢節の言う「弱さ」を見つめるということだ。
そして日々の中で「悲しみ」を感じていくことだと思う。
ひとという存在が根源的に抱える弱さを認め、自分にも他者にも許すこと。
悲しみという感情を持つことを自分にも他者にも許し、
心に咲く花を潤すように涙を流して泣くこと。
ただそうするだけで、肩の力がゆるんでいくと思う
<光野桃【自由を着る】p103~p104より抜粋 >
もう認めてやろう、あたしの弱さ。
自分の弱さと悲しみに向き合おう。
悲しいとしくしく泣いてもいいんだ。
弱い自分があたし。
悲しみも弱さもいっぱいあたしのなかには詰まっている。
なのに、素知らぬふりをしてきた。
それを嫌なもののようにバッサリしてきた。
どうりでひからびてるはずだ。
だから、あたしの心には花を潤すような涙が足りないのだろう。
意地を張らないで、次のJONTEのライブではちょっくら泣いてみよう。
弱さも悲しみももそこにある。
あたしは弱くて、いつも不安でふるえている。
JONTEはいつもそんな悲しみを慈しむように歌う。
そんな歌声だからきっと好きになったんだと思う。
うー、JONTEさんに今、逢いたいです。
今となっては普通になったJONTEのノースリ姿。
この頃はまだ恥ずかしがっておりました。
これは友だちが作った画像をもらったもの。
腕むきむきはかわりませんね。
今は腕から肩丸出しで、ぶいぶいなかなかです。
ミトジョンテライブの告知もありました。
早くライブでむきむき君に逢いたいです。
コメントありがとうございます。
最近思うのは、自分の弱さを認めたら、
もっと早く楽になれたのになあということ。
それがなかなかできないんですよね。
いいこともそうでないこともいっぱい経験して、
身体も変わっていくし、心も家族も変わっていく。
それで、どうにもこうにも動けなくなって、
やっとどうしようもないこともあるんだ、とわかったわけ。
いや、まだ実は認めてないけど、
弱さを見つめることで、
大事なひととも共感しあえるのだとはわかった。
やっぱね、経験しないと、なんもわからんし、
わかったつもりの頭でっかちはだめですね。
鍵コメさんのことばもいつも力になってます。
やさしくよりそってくださり、感謝。
占いに行ってらしたんですね。
泣けてよかったあ、
しっかりもんはいつまでも期待されるばかりで、
自分の苦しさは誰も埋め停めてくれないから。
これからはゆっくり歩いていけるといいですね。
いろいろあるけど、
あたしたちは静かにこれからも輝いていきましょう。
あたしは、いい気なもんで、これからもジョンくんを愛し、
きゃーきゃーいい、愛も毎日叫んで、楽しくやりたいと思います。
これからも、ぜひご一緒に楽しもうではありませんか。
今度占いのこと聞かせてね。
占い大好き。
興味深々よろしくおねがいしまーす。