2017年 03月 28日
ハワイに行きたい。 |

仕事をするときは、BSプレミアムをつけている。
興味深々な番組ばかりで、仕事がはかどらない。
では、切っておけという話なんだけど、なんせTVっ子。
ドキュメンタリーが大好きなので、ついつけてしまう。。
今朝はカンボジア紀行に目が釘付け。
20年前までは内戦が続いていたカンボジア。
みんな働き者で、パワフルなんだけど、どこかはずかしそう。
既視感がある。
利発な女の子のお父さんが、
ポルポト政権下、6歳で孤児になった人であるのに胸を突かれる。
政治家、知識人がたくさん殺されたという。
しっかり勉強をして、人の役に立つ人間になってほしい、とお父さんはいう。
まるで、私が育った時代の日本人のようだ。
カンボジアはほとんどが仏教徒だという。
お坊さんも多い。
裸足で托鉢にまわる若い僧に話を聞くと、
托鉢は義務で、いただいたものを持ち帰り、
みんなで分けるのだという。
寺院には地方から出てきた少年の僧も多く、
大学に行くのを希望すれば、みんなで支援し、
卒業後は還俗して、ズボンを穿いたり、
サラリーマンになることもできるという。
みんなで支え合う。
見返りを差し出せといわない。
仏教の寛大さ奥深さをしみじみ思う。
次回はアンコールワットをやるという。
見なくっちゃ、と思う。
さっ、これで仕事ができると思ったら、
すぐにベネチアの旅が始まる。
室井滋さんのナレーションの「二度目のベネチアの旅」という番組。
イケメン俳優くんが2泊3日、ベネチアを観光し食べ歩く。
おおおー、ベネチアー!!
行ったことないけど、大好きなベネチア。
見るしかないでしょう、と上げた腰をまた下げて、こたつに滑り込む。
ベネチアといえば、あたしには須賀敦子さんである。
須賀さんはヴェネツィアといった。
初めて須賀さんの作品を読んだのが、
「ヴェネツィアの宿」だった。
決してあまったるい回想録ではない。
日本とイタリアと自分と。
過去と今と未来を行ったり来たりしながら、
イタリアに潜り込み、
自分の日本と常に対比しながら、
自分という人間をつきつめていく須賀さんがいた。
須賀さんの文章は一文が長くて、決して読みやすくはない。
でも、ベネチアにオペラ座があること。
ゲットーが初めてつくられたのがベネチアであったということ。
たらのフリッターやアーティチョークを揚げた料理を出す、
ゲットー料理は今は人気であるということ。
ユダヤ教の寺院は建物の一番上に作られること。
コルティジャーニ(高級娼婦)という言葉があること。
ベネチア人は死ぬと船に乗せられて、
墓地の島に埋葬されるということ。
こまやかなことも須賀さんの著作で知った。
行きもしないのに、美味しそうなお店やお土産物屋さんもメモメモ。
木造のアカデミア橋も出てきた。
いつかは沈むとか、実はめっちゃ汚いといわれるけど、
やはり一度は行ってみたいベネチア。
海すれすれの線路を走る特急に乗って、
須賀さんのようにベネチアに入るのだ。
結局10時までTVを見る。
それから母に電話。
1時間ほど話す。
あたしも体調も良くなったから、
二人でどっか行こうというと、
ハワイに行きたいという。
げっ、ハワイ!!
あのハワイ!
Hawaiiのハワイ。
そう、ハワイ。
父と行ったハワイにもう一回行きたい、という。。
私の祖母の実家はハワイにあった。
祖父は農家の二男坊で、働き口を求めたハワイ移民であった。
ハワイ島のさとうきびプランテーションで働いていたとき、知りあったらしい。
いろいろなことがあり、祖父母は日本に帰る。
祖父はタチの悪い飲んだくれとなり、
祖母は明日戦争が終わるという日に、空襲で死ぬ。
祖母の実家とは義絶となった。
長い時間がたち、父は退職してやっと、
父と行ったハワイにもう一回行きたい、という。。
私の祖母の実家はハワイにあった。
祖父は農家の二男坊で、働き口を求めたハワイ移民であった。
ハワイ島のさとうきびプランテーションで働いていたとき、知りあったらしい。
いろいろなことがあり、祖父母は日本に帰る。
祖父はタチの悪い飲んだくれとなり、
祖母は明日戦争が終わるという日に、空襲で死ぬ。
祖母の実家とは義絶となった。
長い時間がたち、父は退職してやっと、
自分の両親の写真を持って、
祖母の里帰りを果たした。
母は、もう一度あの場所に、
祖母の里帰りを果たした。
母は、もう一度あの場所に、
こんどは父を連れて行きたいという。
81歳の願いである。
わかった、行こう。
ただし、ここ2年くらいで。
そのかわりいろいろ研究して、調べてみてね、という。
うん、わかった。
がんばるよ。
パンフレットとか集めてくる。
楽しみができた。という。
なにこの人である。
すごい81歳である。
いまだ車の運転もすいすいする。
父の顔色だけ窺って生きていたのに、
今、ひとりしなやかに強く立っている。
おかげで、あたしは歳を取るのが全然怖くない。
あれこれ思い悩むより、
人はどんどん変わってゆくのである。

道の先の時のJONTEさん💕
こっちの横顔もわりと好きである。
もうじき初めてJONTEさんを遠くに見た、
JONTE記念日がやってくる。
やっとやっとJONTEさんに逢えると、
ドキドキわくわくしていた。
嬉しさと照れくささと期待とで、
毎日ふわふわしていた。
そんな気持ちは色褪せることなく、
あたしは毎日君への愛を叫んでいる。
もう少しで桜が咲く。
見知らぬ人のような、
まっさらな天沢さんに会える。
今年の春も特別な春である。
81歳の願いである。
わかった、行こう。
ただし、ここ2年くらいで。
そのかわりいろいろ研究して、調べてみてね、という。
うん、わかった。
がんばるよ。
パンフレットとか集めてくる。
楽しみができた。という。
なにこの人である。
すごい81歳である。
いまだ車の運転もすいすいする。
父の顔色だけ窺って生きていたのに、
今、ひとりしなやかに強く立っている。
おかげで、あたしは歳を取るのが全然怖くない。
あれこれ思い悩むより、
人はどんどん変わってゆくのである。

道の先の時のJONTEさん💕
こっちの横顔もわりと好きである。
もうじき初めてJONTEさんを遠くに見た、
JONTE記念日がやってくる。
やっとやっとJONTEさんに逢えると、
ドキドキわくわくしていた。
嬉しさと照れくささと期待とで、
毎日ふわふわしていた。
そんな気持ちは色褪せることなく、
あたしは毎日君への愛を叫んでいる。
もう少しで桜が咲く。
見知らぬ人のような、
まっさらな天沢さんに会える。
今年の春も特別な春である。
by haryhareh
| 2017-03-28 12:55
| あたしのこと
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