雨戸を閉めていたら、ガッシャーン!
これまで一度も聞いたことのない音。
地の底から響くような音だった。
悪魔が持っている鉞のようなカーブを描いている。
割れたガラスを避けるためだろうか、
足は変にねじれていつまでも動けないでいる。
大きな怪我はないようだ。
どうしたんだ、と聞くより先に、
ナイフのようなガラスをひとつひとつ取り除く。
夫の太ももの横に、
尖ったものが10個以上どっしり重なっている。
早くここから出さないと。
とりあえずちいさな桶にカケラをそっと重ねていく。
大まかなガラスを片付けてドアを抑えると、
夫はゆっくり立ち上がり、
「入口でつるんと滑って、
肩がカラスに当たったとたんにガッシャーンと割れたんだ」という。
動揺している。
私もことばがで出ない。
割れたのは風呂の入口のドアの下の部分のガラス。
夫がいなくなった風呂場には、
すごい量の割れたガラスが散らばっている。
怪我したとこはないの、と聞くと、
いろいろ確かめて、小さな切り傷が二つ。
肩がこつんと当たったとたん、バリンと割れて、
避けるのでせいいっぱい。
よくぞ避けてくれた、
避けられて良かった。
怪我をしなくてよかった。
死なないでよかった。
生きていてくれて良かった。
もう33年以上この家に住んでいる。
ガラスももろくなっていたのだろう。
あたり前に続く日々はこうして不意に終わるのではないか、と思わせる音だった。
ガラスが刺さる場所が悪かったら、
夫は死んでいたかもしれない。
大けがをしていたかもしれない。
取り返しがつかないことになったいたかもしれない。
私はガラスを全部片付けて、
拭いたり掃除機をかけたり、手で確認したりしながら、
そんなことを考えた。
リビングにいる夫はまだ蒼白な顔をしている。
参ったね、という。
あたしは、これからは気をつけよう、お互いに、とぽつり。
なんでもあたり前じゃない。
自分たちはちゃんとやっていても、
こうして不意に思いがけないことは起こる。
そういうことをあたしたちは忘れていたように思う。
あれはきっと魂の音だったのだろう。
この魂の出来事は、
なかなか進めないでいるあたしへの警鐘のように思う。
もうそろそろ後ろを見るのはやめて、地に足を着けて今を生きろ。
過去もなく未来もない。
ただ今を大事にして生きろ。
下を向いてばかりいると、
心の在り処がわからなくなる、虚ろになる、と。
あたしはすぐ忘れてしまうので、
迷ったけれど、ここにこうして書いておこうと思う。
何かあったらあの音を思い出す。
夫が死んでいたかもしれなかった音。
魂がああいう出来事を起こして教えてくれた大事なこと。
おまえたち。
丁寧に生きろ。
謙虚に生きろ。
今を生きろ。
そして、心をいつも身体の中心に置いておけ。
ガラスを入れてもらい、
ドアはあの大参事の名残もなく、
何事もなかったようにそこにある。
ただ少し私は変わった。
はっとした瞬間、魂が前向きなものを私に吹き込んでくれた。
その魂の声を強く忘れないで、
これからは歩んでいこう。
今を丁寧に積み上げて生きようと思う。