弟が地元の活車海老を送ってくれたので、
夏野菜と一緒にてんぷらにしてみた。
サツマイモは素揚げ。
レンコン、ナスビ、エリンギに玉ねぎ。
緑はピーマンで。
天つゆも久しぶりに作り、
大根おろしもおいしくなあれ、
おいしくなあれと、丁寧に擦った。
嫌々やると、とんがった味になるらしい。
車海老はさっきまで生きていたので、
歯応えがしっかりしていて、びっくり。
さっきまで生きていた新鮮なエビの天ぷらって、
あたしはきっと初めてだと思う。
いのちをいただくというのを痛感する。
いや、いつでも食べることはそういうことだ。
食べることをちゃんとしよう、と最近思う。
すごく神経質にごはんを作っているときもあったなあ。
今は身体にいいもの、ささやかなものを丁寧に準備して、
大切においしく食べよう、と思う。
スタンダードなコールスローも復活。
塩で軽く揉んで作るやつ。
歯応えも新鮮さも目に見えないものも味わえる。
これまではべんり酢にいきなり漬けていた。
それはそれで美味しいのだけれど、
たまには変えてみるのもいい。
一年前の6月。
りんちゃんと岡山でのJONTEのライブに行った。
オシャレなカフェライブハウスに収まりきらない、圧倒的な歌声だった。
二度とない時間。
ギュッと抱きしめながら楽しんだ。
あたしのJONTEはほんとうにオトコマエだ。
ビジュアルもたぶん性格も歌声も。
思い切って行って良かった。
その帰り、足を伸ばして実家に寄ったら、
長いこと仲が悪かった弟がふらっとやってきて、
つきものが落ちたように、あたしたちは突然和解した。
奇跡が起こった。
びっくり仰天大騒ぎである。
これまで、もういいや、と思っていたけど、
こころのどこかが苦しかったのだろう。
弟も思うことがあったのだろう。
私が病気をし、手術したこともあったのかもしれない。
風呂に入っていたら、
ふらっと遊びに来て、
あたしは頭をごしごししながら、
おー、お久しぶりー、と、
弟と何事もなかったように話し始めた。
それからは、またやり直し。
優しい妹がいて、
成人した自閉症の甥っ子がいる。
止まった時計がゆっくり動き始めて、
しみじみとうれしい時間がやってきた。
ちょこちょこ気持ちのやりとりをする。
なんて当たり前なことが、
しあわせなんだろう。
弟がにこにこやってきてくれた。
感謝しかないよ。
きっと罪滅ぼしに死んだ父がうまくやってくれたんだと思う。
お父さん、ありがとう。
こんなふうに、ふとしたことで、何かが動き出すことがある。
JONTEの歌声を追っかけていたら、
じゃあ実家にも寄ったら、という話になり、
長年の胸のつかえが取れて、強張りも消えた。
りんちゃんと岡山に行かなければ、
弟と和やかな再会ももう少し先になっていただろう。
これは確かに奇跡だったけれど、
毎日小さな小さな奇跡を見つけることはできる。
なあに、たいそうなことじゃない。
なんとなく本の整理をしたら、
忘れていた本を見つけて、
読んでるうちに、今の問題の解決策がやってきた、とか。
仏さまのじいちゃんに、
ばあちゃん、どうにかしてくれよお、
と泣きながら願いしたら、
同日、アドラー心理学の記事を目にする、とか。
自分と相手の問題をきっちり分けて、
相手の問題はバッサリ切り捨てる。
その仕分けをするだけで、
自分を責めないで、かなり楽になる。
あのネガティブさはばあちゃんの問題。
あたしのもんじゃない。
あたしのせいでもない。
優しくはする。
できることはする。
ばあちゃんの無意識な呪いはつるっとお返ししよう。
変えられるのは自分だけ。
まっ、ばあちゃんを変えることなんでできゃしないけどねー。
てなわけで、
まただらだら書いてしまった。
このブログは、
自分を整理するために、書いてるようです。
書き終わると、今日の輪郭がすっきり。
説教くさかったら、ごめんなさい。
なんかやなことは手放すこと。
できたら良いこともすぐ忘れる。
あたしはそうしてる。
そうしないと、いつもそこに戻りたがるし、進んでいけない。
フラットでいること。
期待をしないこと。
コントロールしないこと。
まんぷくにしないこと。
すこし空けておくこと。
そして、1日を楽しみ動くこと。
まあ、そんな感じで、
あたしの夏は終わりそう。
何があっても大丈夫。
今日も素敵な1日を。